井波彫刻

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井波の彫刻師

井波彫刻の町としてと知られる旧井波町界隈では多くの彫刻師が井波彫刻伝統の技を競い合い今や芸術としてその価値が認められるようになっています。

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井波彫刻の歴史

 井波彫刻の歴史は古く14世紀頃に社寺仏閣の大工仕事の中にその端を発しますが、特に江戸時代中期、瑞泉寺が消失しその再建の為に、京都本願寺より、御用彫刻師が派遣され、このとき地元大工・番匠屋九代七左衛門ら四人がこれに参加し、御用彫刻師について彫刻の技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりとされています。
 明治に入るとそれまで培ってきた社寺向けの彫刻技術が社寺以外の民間の住宅内装飾用彫刻としても活躍するようになりました。神棚、置物、衝立、中でも社寺向けとして歴史のある欄間は井波彫刻の主流になるもので井波の欄間として日本中に知れ渡るようになりました。
井波彫刻は富山県の誇る伝統工芸品です。

井波欄間の特徴

 欄間(らんま)とは和建築の隣り合わせた部屋と部屋、部屋と廊下等の天井と鴨居との間に、格子や透かし彫りの板などを取りつけて装飾した部分で採光・通風などのためのものです。
 井波欄間は主としてクスノキ・ケヤキ・キリの木を材料として、風景、花鳥、人物等が彫刻されます。欄間は両面から見られる為裏表なくその技法は「透かし深彫り」と言われています。200本以上のノミや彫刻刀を使い分けることにより発揮されえる高度な技術を持つ伝統的な木彫刻です。
又、欄間は普通下から見上げるものですからその視点を考慮して下絵の図案が決められます。丁度、道路上に描かれている「STOP]」などという字が自動車の運転手の視点を考慮して描かれているのに似ていますね。

瑞泉寺

井波別院瑞泉寺は14世紀の明徳元年、本願寺5代綽如上人によって開かれた浄土真宗の名刹です。
以来浄土真宗信仰の中心として栄えてきましたが16世紀に起こった一向一揆の折に佐々成政の軍勢に攻められ、焼き払われてしまい城端北野に移った後、再び井波へ戻り、現在の場所に再建されました。
その後本堂は明治18年に再建され太子堂は大正7年に、井波建築、井波彫刻、井波塗師などの技術の粋を結集して再建されたものです。

今週の気になるニュース

 ニホンウナギ 世界初の親魚捕獲 マリアナ諸島西方で発見
 生態に謎の多いニホンウナギの親魚が、マリアナ諸島西方の太平洋で、世界で初めて捕獲された。水産庁と水産総合研究センターが22日、発表した。現場の水温や塩分濃度も分かり、養殖技術の向上にもつながるという。
ニホンウナギの産卵については、東京大のチームが05年、同じ海域で大量の赤ちゃんウナギ(仔魚=しぎょ)を捕獲。産卵場所はほぼ特定されたが、親ウナギや卵は見つかっていなかった。  同センターは、漁業調査船「開洋丸」(2630トン)で、今年6月と8月、大型の網を使って調査した。この結果、約150キロ離れた2地点から、ニホンウナギの雄2匹と雌1匹、性別不明な1匹の計4匹、オオウナギの雄1匹を捕獲した。この雌を調べたところ、卵巣が収縮し、残った卵もあったため、産卵後の雌と考えられた。また、9月には近くでふ化後2、3日程度の仔魚(約5ミリ)も26匹見つかった。  親ウナギが捕獲されたのは水深200〜350メートル付近(水温13〜25度)、仔魚は同100〜150メートル(同26.5〜28度)と推定している。  現在の人工ふ化技術では、卵から仔魚に育つ数が少なく、安定供給にはほど遠い。養殖は天然のシラスウナギに頼っているが、シラスウナギは減少している。同センターの張成年・浅海生態系研究室長は「親の生理状態や生育環境を調べることで、人工ふ化技術の向上につながるかもしれない」と話す。  調査の詳細は、10月に横浜市で開かれる世界水産学会で発表される。【下桐実雅子】
Yahoo!ニュース/9月22日21時20分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080922-00000019-maip-soci

2008/9/23更新